どうも、頑張らないことをモットーに過ごす、たくみ(@takumi_blog_)です。
最近もいつもと変わらず、頑張らなくても楽しく過ごせるよう日々工夫しながら、過ごしています。
『頑張らない暮らし』と話すと、怠けた生活をイメージされる人が多いです。ですが、実際はそんなことはありません。逆説的になりますが、頑張らない生活をするためには、むしろ頑張る必要もあります。ただこの頑張りが、後々に自分を楽にしてくれるので、結局は頑張らない生活の軸になっています。
今日は『世界の見え方』について。
仕事に行っているのに仕事がない
仕事が行っているはずなのに仕事がない。コロナ禍でこんな経験を2度はした。1回目は第5波、そして2度目は第6波。医療機関に勤めていても、必ずしも仕事があるわけじゃないと実感する出来事だった。
というのも、僕の仕事は患者さんの心身機能の改善とと日常生活や社会へ復帰を支援するリハビリテーション職。リハビリテーションは必ずしも入院患者全員に実施されるわけじゃない。わかりやすくいうとお薬のようなもので、リハビリテーション職は言わば運動の処方薬・生活や社会復帰を支援する処方薬みたいなもの。
ゆえに生命の危機に関わらない仕事ので、感染症が院内で蔓延すると必然的にリハビリテーションは中止になる。同じ医療職である看護師や介護士さんなどとは違って、仕事ができなくなる。
もちろん管理職は有事になると仕事が次から次へと降り掛かってくる。どこの病棟・どこの部屋・どの患者さんからリハビリテーションを再開するかを、医師・師長・感染対策室長などと競技したり、部下の健康管理、指示内容の文書作成など、泉のように仕事が湧いてくる。
逆に一般職だと本当に仕事は皆無になる。こんなときにみんなは何をしているのか観察をしてみると国家資格とは関係のない仕事ばかりをしているから少し驚く。大掃除や溜まった書類の整理など雑務ばかり…。
本当にこれでいいのだろうか?
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こういうときに思うことが1つある。
それは患者さんのことを考える時間に使ってほしいということ。
医療職も企業に務めるサラリーマンと同じで勤務時間は8時間、平時なら少なくとも6時間か〜6時間半は7〜8人の患者さんの診療に回る。合間にカルテを書いたりカンファレンスなどに出ていたりしたら、業務時間内に担当している患者さんのことを深く深く考えることはまずできない。
というか、考える時間が与えられていないのがリハビリテーション職の現状だ。
もちろんこの環境で働くことが当たり前で勤めているので、考える時間を取ろうなんて発想なんてきっと出てこないだろうし、考える時間をとっていいかを聞いてくる人もいない。もしかしたら自分は患者さんのすべてが分かっているつもりになってしまっているセラピストも少なくないかもしれない。自分の見えている患者さんが患者さんの全てと思い込んでしまっているのだ。
そうであれば非常に危険だ。
本当に危ない。
かくいう僕も患者さんを多様な視点で捉えれて深く深く理解できているかと言われれば、臨床を10年していてもまだまだできていないというのが現状だ。
人間は知っていることでしか世界を見ることができない
人間は、自分の知っていることでしか、世界を認識することができない。
知識が少ない人ほど、思考の柔軟性にかけて、自分の知識にしがみつく。
本当に知識がある人は、いつまでも見えているものを疑い続けていて、あぁでもないこうでもないと探求し続けている。研究者ではないけど傍から見たら研究者のように見える。
自分の好みから少しだけ離れた、でも少し気になることに手を伸ばし続けることでき景色や世界の見え方は変わってくるんだろうと思うけど、それがまたなかなか難しかったりする。
つい手にしてしまうことは好きな本好きなジャンルになってしまうから。
だから、いつまでも世界が広がらないんだろうな。
人間って難しい。
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この記事があなたの役に立てば幸いです。
そんじゃあね☺
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