どうもこんにちわ。
たくみ(@takumi_blog_)です。
今日は一度なくすとめんどくさくなった話について。
1日1食生活にして丸2年は経っただろうか。
GW休みが終わり、仕事終わりの後にひたすら妻に『お腹が空いた』といっていたら、『1日1食にしてるからやん』と突っ込まれた。
続けざまに『1日1食って逆に体に悪そうやねんけど、お昼におにぎりくらい食べたら?』とも提案を受けた。
僕が1日1食にしている理由はいくつかあるが、その最たる理由は『オートファジーの実践』だ。
オートファジーはあらゆる細胞で不要な物質を除去したり有害な物質から細胞を守ることで体の恒常性を保つ働きをしてくれる。
ちなみにオートファジーが起こらないと老化が進むとも言われている。
で、そのオートファジーというのは16時間の飢餓状態を保つことで発動するといわれている。
それに習って僕は1日1食で生活をしている。
ただ厳密に言うと1日1食じゃなくても残りの8時間で何を飲み食いしてもいいのだが…。
話をもどすのだが、とにかく妻からするとオートファジーかなんだかしらんけど、昼には16時間をむかえるねんから昼ごはん食べたらいいやんと言ってくるのだ(だいたい我が家の夕飯は20時には終了している)。
たしかに妻の言い分はごもっともだ。
でも、僕は決して昼ごはんを食べようと思わない。
その理由は昼飯を職場で食べるのが非常にめんどくさいから。
1日2食の頃もあり、その期間を含めると丸3年は仕事のときには昼ごはんを食べずに生活している。
すっかりとご飯を食べずに一日を過ごすというのが僕の習慣なのだ。
空腹を満たすという食欲という欲求すら抑圧してしまうくらい、この習慣が極まりすぎたのが現状である。
そこでふと思った。
『一度なくすとめんどくさくなる』ということを。
僕の場合は食事がまさにそうだったけど、あなたにもそんな経験はないだろうか。
この2年間。
新型コロナウイルス感染症のせいで、外食することがめっきり減った。
友だちに会うこともめっきりなくなった。
職場の飲み会もゼロになった。
感染症が完全に収まっても、これらのなくなったことをすぐにやるかと言われれば、僕はやろうとは思えない。
なくてもいいことはないままでも生活はできることがわかったし、今まで必要と思っていたものは思っていた以上に必要がないものだったかもしれない。
そんなふうにさえ思うようになった。
年齢を重ねると、繋がりや経験は否が応でも基本的には積み上がっていく。
そして感染症のような社会的な制約、もしくは自分自身で制限をかけないと、それは一生増え続ける。
どんどん何かが足されていくのが基本的なシステム。
『一度なくすとめんどくさくなる』と思うようになって、気がついたことがある。
『減らす意識をもつことがより自分自身の快適を洗練させてくれる』ということ。
足すばかりじゃなくてときには引くことも、必要だ。
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