『令和』、やりたいことをやってみよう、背中を後押ししてくれる言葉




2019.4.1

ついに新元号が発表されましたね。

『令和』

人々が美しく心を寄せ合う中で、新しい文化、新しい時代を切り開いていく。

そんな意味がこめられているそう。

新元号を聞くというイベントを今後見ることができないかもしれないし、非常に貴重な体験だったなぁとも思うし、とても清々しい気持ちになったのもいうまでもない。

ただ、新しい文化・新しい時代を切り開くという言葉がなんか引っかかった。

慣習が大好きな日本人

日本人は「しきたり」「同調」がとても大好きな民族だと僕は思う。

元号、ハンコ、結納、空気を読む、忘年会に新年会、上司が帰るまで帰れない職場・・・

日本ならではの文化で素晴らしいと思う。でもどこか息苦しさみたいなものを感じる。

時代に合わない常識が残りすぎるし、新しいモノを取り入れようとしたら、『やってみよう、あかんかったらまた考えよう。』ではなく、『それをして本当に大丈夫なの?どこもそんなことやってないよ?失敗しない?』などネガティブな方向な思考に至りやすい。

そのせいで、進むはずの改革もなかなか進まず、最近では年齢を重ねている慎重派で何もしない人たちを『老害』って言っているのは周知の事実である。

ざっと意訳すると『慣習』≒『老害』が成り立つと僕は思う。

『令和』と『慣習』

もう一度、新元号『令和』に込められた意味を読んでみる。

人々が美しく心を寄せ合う中で、新しい文化、新しい時代を切り開いていく。

『新しい文化』、『新しい時代』。

『慣習』とは真逆な意味だ。

切り開くには誰もしたことがない道を歩むしかない。

もちろんそこには壁もたくさんあるだろうけど、それを回避し続けたら新しい文化や時代は切り開くことはできない。

切り開くという行為を止めなければ失敗ではない。

トライ&エラーを許してくれるそんな時代になればいいなぁと僕は思う。

『慣習』に囚われない新時代を築くために、歩みは止めずこつこつと、なんでもやりたいことをやってみよう。