どうも、頑張らないことをモットーに過ごす、たくみ(@takumi_blog_)です。
最近もいつもと変わらず、頑張らなくても楽しく過ごせるよう日々工夫しながら、過ごしています。
『頑張らない暮らし』と話すと、怠けた生活をイメージされる人が多いです。ですが、実際はそんなことはありません。逆説的になりますが、頑張らない生活をするためには、むしろ頑張る必要もあります。ただこの頑張りが、後々に自分を楽にしてくれるので、結局は頑張らない生活の軸になっています。
今日は『予測の精度を邪魔するもの』についてです。
さっそくどうぞ。
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この記事の背景
良いことを言おうとしたら、何も言葉が出てこない。
何かを発信するときの『悪い癖』になっている気がする。
ありのまま思うことを書いたらいいんやで。
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今思い浮かぶことは、担当している患者さんのこと。
いくら病気になる前の状態に戻りにくい現状とわかっていても、担当する立場から『絶対無理』といろいろ試す前から断言することは僕には到底できない。(主治医に言われて驚いた)
頭の中では『むずかしいやろう』とわかっているつもりだった。
でもそんな現実から目を背けたい自分がいた。
というのも、ここまでの経過をみても緩やかだけど確実に右肩上がりに改善してきているという事実もあったし、何よりも患者さん自信が毎日休まずに訓練に取り組んでくれているのに、それが生活にまで汎化できないというのが申し訳なかった。
ただ、予後予測に当てはめると先生が言うように『絶対無理』な可能性が明らかに高い。
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自分が担当するとついつい過剰に成果を求めてしまう。
自分は成果を出せる。
患者さんの回復を期待しすぎている。
患者さんの家族の人の思い(希望)を実現したい。
いろんなことが加味されて、現実以上の予測を立ててしまっているのかもしれない。
予測の精度は、専門性が邪魔をする?
何かの予測を立てる時、
- 自分の専門外の分野
- わからない分野であると
客観的な事実や過去の判例をもとに、ある程度正しく事実やデータを解釈し、良いラインの予測を立てることができる可能性が高い。
それに対して、
- 自分の専門分野
- 得意思っている分野
の予測を立てるときは、データや事実だけじゃなく、なぜか私見が多分に盛り込まれて、その精度がかなり悪くなる気がする。
そして、私見の正体は下記のことが多い。
- 感情
- 自分の技術、知識への期待
- 対象となる事象への期待
さらに悪い方向への予測の場合、上記の私見をふんだんに盛り込みどうにかいい方向にならないかという謎の上方修正がなされていき、結果的に予測を遥かに下回る結果となってしまったりする。
専門家として、決して自分の力を信じることは悪いことではないとは思う。
ただそれ以上に自分の力を信じること、自分の経験をもとにすることは予測の精度を鈍くするという事実も知っておくべき。
予測が悪く出てしまうなら、その予測は一旦受け入れる。
だがしかし、その事実を鵜呑みにせずに少し疑いの目を持って少しでも予測を超えられるように、日々コツコツと成果を積み上げる。
専門分野といえど、決して予測を自分の私見で歪めないようには気をつけておきたい。
僕のブログでは『頑張らない生き方』をモットーに、『明日の自分が少しでも楽になれるノウハウや日々の気づき』を発信しています。
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最後までご覧いただきありがとうございました。