制限されることとアイデア

「制限」と聞くとどこか不自由さを感じてしまう方も多いのではないだろうか。

僕も、数年前までは「制限」という言葉はとても嫌いで、「自由」という言葉が大好きだった。

しかし、今はその考えが少しかわりつつある。

「制限」がある方が、ある意味「自由」なのかもしれないと…

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク

「制限」こそが「自由」を生む?

日常生活の例を少し出してみる。最近僕は、iPodで音楽を聴くことを辞めた。iPodで音楽を聴けば、自分の好きな音楽を次々と聞くことができる。

でも、僕はあえてそれを辞めた。今はSpotifyで音楽を聴いている。Spotifyも月額料金980円を支払えば、SKIPも使えて好きな音楽を聴ける。でも僕は、月額料金を支払わず、SKIP回数が「制限」された状態で利用している。

「制限」された状態を選ぶことにはとても意味がある。980円は決して払えない料金じゃないし、その方が「自由」も聞いてきっと快適だろう。

でもそれは、自分の好きな範疇から一歩も外に出ないことを意味する。

「制限」を受けると、過去の自分がきくことのなかった音楽とふれる場面が嫌でも出てくる。でもそれが「制限」されることの恩恵だと僕は考えている。

「制限」が過去の自分の範疇を飛び出させてくれ、新しいジャンルを知るきっかけになり、結果的に自分の範疇が広がれば「自由」は逆に広がる。

現に、Spotifyを使用し始めてから、自分の聞く音楽のジャンルは明らかに広がったし、今まで聞かなかった音楽に興味を持ち、視野も広がったなぁと感じている。

制限されることとアイデア

「○○しか使ってはいけません」、「△△しかしてはいけません」。

こんなことを言われたら誰しもが少し嫌な気分になるだろう。でもそこにも成長を見出すチャンスが潜んでいる。「制限」されるということは、その範囲でできることを多く考えるという機会を与えてくれる。既存の考えに固執をしてしまうとパターンは限定的になるかもしれない。まぁそうするとその「制限」に嫌気もさす。でも「制限」された中での多様性を考えるようになると今までになかった発想が生まれる瞬間もある。

例えば、衣類の整理。

「収納スペースはこれだけ」と限定されると、普通は「これだけスペースに服を収めることはできない」という発想になり、新しい収納ボックスやタンスを購入して収納スペースを増やすんじゃないだろうか。

その収納スペースを遵守することだけに意識を向けると、新たな考えにたどり着くこともある。それは服の量を減らす、服を捨てるという選択だ。

「きっとこれも着るだろう」と思って置いていると収納には服は収まりきらない。本当に切るモノだけを見極めることがこの時初めて出てくる。

僕が「ミニマリズム」に出会ったのもこんな状況の時だった。

「制限」されることで、新しい考え(=アイデア)に辿り着くのだ。

「自由」になりすぎている現代

スマホやPCといったITが発達した現代、そこには「自由」が溢れすぎている。自分で考えなくても調べたら誰かが考えてくれた答えに出会う。「自由」が「考える」という機会を搾取している典型例だ。

ガラケー時代やそれ以前は自分が疑問に思ったことは自分でどうにか解決するために調べたり考えたりする機会が多くあった。それにより新しいアイデアが思いつくこともできた。アイデアを思いつく楽しさを知ることができた。

でも今は「自由」になりすぎている。

少しの「制限」があってもいいかもしれない。

「制限」こそが新しい「自分」に出会うことができるかもしれないから・・・

スポンサードリンク
スポンサードリンク

フォローする

スポンサードリンク
スポンサードリンク