どうも、頑張らないことをモットーに過ごす、たくみ(@takumi_blog_)です。
最近もいつもと変わらず、頑張らなくても楽しく過ごせるよう日々工夫しながら、過ごしています。
『頑張らない暮らし』と話すと、怠けた生活をイメージされる人が多いです。ですが、実際はそんなことはありません。逆説的になりますが、頑張らない生活をするためには、むしろ頑張る必要もあります。ただこの頑張りが、後々に自分を楽にしてくれるので、結局は頑張らない生活の軸になっています。
今日は『文章を書くこと』について考えてみた。
さっそくどうぞ。
このページのもくじ
この記事の背景
誰かの言葉を借りるのはかんたん。
だけど、言葉や文章を借りてると自分の言葉がなくなってしまう。
文章を書くことが苦手な人は、そもそも文章を書く量が少ないのが原因と思っていた。
でも実際は自分の内面と向き合っていないのではないか?と思うように。
今、こうして文章を書いていても手が止まると、すぐにどこかに言葉を借りに行きたくなる。
インプットすることとアウトプットすることは両輪だけどまるで別物。
真のアウトプットは、インプットしたことをそのまま伝えるだけでは不十分。
自分の言葉に置き換えるだけでも不十分。
インプットしたことを解釈してみたり、考察してみたり、なにか事例と結び透けてみたり、自分の感想を出すことが真のアウトプットと思えてきた。
聞くことや見ることの量をいくら増やしても、そのままにしていたら決してプラスにはならない。
とはいえ、インプットせずにいることがいいかと言われればそういうわけでもない。
内面から湧き上がる言葉だけで飯を食べれる人はいいかもしれないけど、ある程度の世間や知識、考え方を勉強はしておかないと、アウトプットの土台はできない。
要はバランス。
ただ、こうして文章を書いている今もアウトプットしているように見えて、実はインプットは継続されている。
なので、何もせずにいたら、基本的には自然と自動的にインプットだけをしていることになる。
だからアウトプットする時間は、意識的にでも設けておかないと、誰かの言葉の上に行き続けることになると思う。
自分の言葉がない時、それは自分を見失い、誰かに操られているときかもしれない。
自分の言葉を取り戻そう
自分が誰かに話している内容は本当に自分の言葉で話しているだろうか?
ここでいう自分の言葉は自分の世界観と言ってもいいかもしれない。
このブログを創設した当初はブログのテーマに困っていた。
- 1つのジャンルに絞って書いていくほうがいい
- たくさんいろんなことを書いて絞っていけばいい
この相反するやり方にずっと悩んでいた。
でもブログを書き続けていると、ふとしたときに『頑張らない生き方』というテーマにたどりつくことができた。
このテーマにたどり着いて以来、文章を書くときの軸というか判断の軸というか、自分の中の基準みたいなもの(これが世界観?)が定まって、発信するときの軸がブレなくなった気がしている。
ちなみに僕は文章を書くこと、言葉を絞り出すことが本当に苦手。
300以上の記事を書いてきてもそれは変わらない。
ただ、1記事目を書いたあの時よりは自分の言葉で文章を書くことができているのは確か。
そして、自分がどんな生き方をしたいのか、自分がどんな人間なのかもほんの少しだけわかってきた気がする。
最近は、ちゃんとペンと紙に自分の言葉を記すことを始めた。
自分の言葉を取り戻す、リハビリだ。
もちろん誰かに話したり、SNSに投稿することでもいいかもしれない。
だけど、誰かの目を気にしているアウトプットは自分の言葉と言いがたい。
誰の目にも触れずに自分の思いを吐き出していく。
自分の言葉を取り戻せば、自分の生き方の道標ができるかもしれない。
僕のブログでは『頑張らない生き方』をモットーに、『明日の自分が少しでも楽になれるノウハウや日々の気づき』を発信しています。
気になる方は人気記事のリンクを張っていますのでよろしければそちらにも遊びに来てください。
最後までご覧いただきありがとうございました。